不祥事・デマ・事件

TBSビデオ問題とは。坂本弁護士一家殺害事件との関係、隠蔽と発覚の全経緯

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「TBSビデオ問題」とは、1989年にTBSがオウム真理教批判の急先鋒だった坂本堤弁護士のインタビュー映像を、放送前に教団幹部へ見せていた問題です。その4日後、教団幹部が坂本弁護士の事務所を訪れて交渉は決裂し、さらにその5日後、坂本弁護士一家が殺害される事件が起きました。TBSはこの事実を6年間にわたって否定し続け、1996年になってようやく認めています。この否定の過程では、当時TBSキャスターだった杉尾秀哉氏(現・立憲民主党参議院議員)が否定の抗議文を読み上げ、後に取り消し・謝罪した経緯もあります。本記事では、発端から発覚、処分に至るまでの経緯を、公表されている事実に基づいて整理します。

事件の発端 ― 『3時にあいましょう』とオウム真理教取材

坂本堤弁護士が語った「インチキ商法」という言葉

1989年、TBSの情報番組『3時にあいましょう』は、オウム真理教をめぐる特集の取材を進めていました。取材班は富士山道場でオウム側の修行の様子を撮影する一方、教団への入信をめぐる被害相談を数多く手がけていた坂本堤弁護士にもインタビューしています。

坂本弁護士は、娘が出家して行方不明になった、多額の布施で借金を抱えたといった相談が寄せられている実態を語り、こう指摘していました。

「宗教を利用したインチキ商法になっているとすれば、社会的に断罪されるべきだ」

一方、教団側への取材では、麻原彰晃へのインタビュー中にリポーターが布施の問題に触れたところ、上祐史浩ら弟子たちが激しく反発し、現場が紛糾する場面もあったと伝えられています。

なぜオウム幹部に映像を見せたのか ― 1989年10月26日の経緯

取材内容をめぐりオウム真理教側が態度を硬化させたことを受け、早川紀代秀ら教団幹部3人は1989年10月26日深夜、TBS千代田分室を訪れ、坂本弁護士のインタビュー映像を見せるよう要求しました。TBS側はこれに応じ、編集済みの映像を幹部らに見せています。放送前の未放映素材を、批判対象とされていた当の教団に開示したことになります。

この対応によって、坂本弁護士がオウム真理教を「インチキ商法」と断じ、被害相談の窓口になっていることが、教団側に具体的な形で伝わりました。

交渉決裂から坂本弁護士一家殺害事件へ

映像を見せられてから4日後の10月30日、教団幹部らは坂本弁護士の事務所を訪問し、直接交渉を試みました。しかし話し合いは決裂します。そしてさらに5日後の1989年11月4日未明、坂本堤弁護士とその妻、長男が殺害されました。事件は長く行方不明事件として扱われ、オウム真理教の関与、そしてTBSの映像提供が明らかになるのは、1995年の地下鉄サリン事件後を待たなければなりませんでした。

事件発生から発覚・処分までの年表

1989年10月26日
教団幹部がTBSを訪れ、坂本弁護士の未放映インタビューを視聴
1989年10月30日
教団幹部が坂本弁護士の事務所を訪問、交渉決裂
1989年11月4日
坂本堤弁護士と妻・長男が殺害される
1995年10月
日本テレビがTBSの映像提供をスクープ。TBSは全面否定
1995年10月19日
「JNNニュースの森」で杉尾秀哉氏が否定の抗議文を読み上げ、後に取り消し・謝罪
1996年3月
TBSが事実を認め謝罪。磯崎洋三社長ら幹部が辞任

TBSはなぜ6年間隠し続けたのか

日本テレビのスクープを「事実無根」と否定

1995年、日本テレビが「TBSが教団幹部に坂本弁護士の取材テープを見せていた」とスクープしました。これに対しTBSは、社内調査の結果として「テープを見せた事実はない」と全面否定します。事件から6年が経ち、当事者の記憶や記録が薄れつつあった時期の否定でした。

杉尾秀哉氏(現・参議院議員)が読み上げた抗議文

1995年10月19日放送の「JNNニュースの森」では、当時キャスターだった杉尾秀哉氏が、日本テレビの報道に対する抗議文を読み上げました。

「TBSが教団幹部に取材テープを見せたかのようなニュースを放送した。しかし社内の調査では、テープを見せた事実はない」

杉尾氏は後年、手渡された原稿があまりに断定的な内容だったため不安を感じ、担当デスクに確認を求めたものの、抗議は「決定事項」として読み上げざるを得なかったと説明しています。この抗議は後日、同番組内で取り消され、杉尾氏自身が謝罪する事態となりました。杉尾氏は現在、立憲民主党の参議院議員を務めています。

「早川メモ」が突きつけた矛盾

否定を続けるTBSの立場を揺るがしたのは、地下鉄サリン事件後に逮捕された早川紀代秀の供述と、彼が残していたとされる「早川メモ」でした。TBS千代田分室を訪れ映像を見せられた経緯が、当事者の記録として具体的に裏付けられたことで、「事実無根」という説明は成り立たなくなっていきます。

1996年3月、TBSが事実を認める

公判での早川紀代秀の供述と「早川メモ」の存在が報じられたことで、TBSはそれ以上否認を続けることができなくなりました。1996年3月、TBSは坂本弁護士の映像をオウム幹部に見せていた事実を正式に認め、謝罪しています。日本テレビの報道から半年、事件そのものからは6年半が経過していました。

磯崎洋三社長ら幹部の辞任

事実を認めた後、磯崎洋三社長(当時)をはじめ、専務、取締役、番組を担当したプロデューサー2名が相次いで辞任しました。一方、放送免許を所管する郵政省(現総務省)による対応は厳重注意にとどまり、刑事処分には至っていません。組織としてのけじめは辞任という形で示されましたが、法的な責任追及は限定的だったといえます。

対象 処分・対応
磯崎洋三社長(当時)辞任
専務・取締役辞任
番組担当プロデューサー2名辞任
郵政省(現総務省)からTBSへ厳重注意(刑事処分なし)
TBSのワイドショー制作1996年〜2005年頃まで撤退

ワイドショー制作からの撤退という代償

社会的な批判を受け、TBSは看板だったワイドショー番組を廃止し、深夜放送を一時休止する対応を取ったとされています。TBSはこの問題以降、1996年から2005年頃までワイドショー制作から距離を置くことになりました。視聴率を稼いできたジャンルそのものを手放すという、経営面でも大きな代償を伴う対応でした。

日本弁護士連合会の声明が問うたもの

日本弁護士連合会は1996年4月、この問題に関する声明を発表しました。声明は、対立する立場双方の取材を行ったうえで併せて報道する方法を工夫すべきだったとし、TBSの対応を「報道機関としての責任放棄」と指摘しています。あわせて、郵政省などの行政が放送免許を理由に報道内容へ介入することへの警戒も示しました。

TBSビデオ問題がその後の放送倫理・自主規制機関に与えた影響

日弁連の声明は、マスメディアが自主的な解決機関、いわゆる報道評議会のような仕組みを検討すべきだと提言していました。TBSビデオ問題は、視聴率優先で放送倫理が軽視された業界体質の象徴的な事例として長く語られ、後年設立される放送倫理・番組向上機構(BPO)など、放送局の自主規制をめぐる議論の背景の一つになったとされています。1989年の取材判断がひとつの家族の命を奪う結果につながったという重さは、30年以上を経た今も、報道と取材対象の関係を考える際の原点として参照され続けています。

出典

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