不祥事・デマ・事件

朝日新聞が慰安婦報道の記事を取り消し。吉田証言問題の経緯を時系列で整理

不祥事・デマ・事件
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朝日新聞は2014年、慰安婦問題に関するかつての記事について、複数回にわたり訂正・記事取り消しを行いました。きっかけは、「済州島で女性を強制連行した」と証言していた吉田清治氏の話が虚偽と判断されたことでした。朝日新聞自身がこの証言を「デマ」に当たるものとして扱い、これに基づく記事を取り消しています。同年8月に16本の記事を取り消した後、12月には第三者委員会の報告書を受けて、用語の誤りや記者の表現をめぐる追加の訂正も発表しています。本記事では、この一連の経緯を、予備知識がなくても流れがつかめるように整理します。

経緯を時系列で見る

朝日新聞の慰安婦デマ報道問題 ― 主な経緯
1977年吉田清治氏が自著で「済州島での女性強制連行」を証言
1982〜97年朝日新聞が吉田証言を計16回記事化
1992年1月秦郁彦氏が済州島で現地調査、証言の裏付けとれず
1997年3月朝日新聞、「真偽は確認できない」と紙面で留保(取り消しはせず)
2014年8月5日吉田証言を虚偽と判断、記事16本を取り消し(謝罪文言なし)
2014年9月11日木村伊量社長が記者会見で謝罪(吉田調書報道と合わせて)
2014年11月木村社長が辞任の意向を表明
2014年12月5日木村社長が正式に退任
2014年12月22日第三者委員会が調査報告書を公表
2014年12月23日朝刊37ページで用語メモ・植村記者記事などを追加訂正

そもそもの発端 ― 吉田清治氏の証言とは

吉田清治氏とはどんな人物か

吉田清治氏(故人)は、山口県労務報国会の動員部長だったと名乗り、戦時中に日本の植民地だった韓国・済州島で、女性を慰安婦にするため暴力を使って無理やり連れ出した、と証言していた人物です。1977年に自著でこの体験を公表し、1980年代から90年代にかけて、集会や取材でも同様の証言を繰り返しました。

なお、1947年には下関市議会議員選挙に日本共産党から立候補した経歴もありますが(落選)、息子の証言によれば思想的なものではなく一度限りで、以後党との関わりはなかったとされています。

「山口県労務報国会」とはどんな組織か

山口県労務報国会は、戦時中に国(内務省・厚生省系統)が主導した労働力動員組織で、共産党とは関係がありません。戦時中は共産党自体が非合法化・弾圧されていた立場にあり、労務報国会はむしろその対極にある、国の統制下の組織でした。この種の報国会組織は、日本の敗戦直後の1945年に解散しており、現存していません。

朝日新聞による報道(1982〜1997年)

朝日新聞は1982年から1997年にかけて、この吉田証言を計16回にわたり記事として掲載しました。証言では、直接指揮して日本に強制連行した朝鮮人は約6千人、うち950人が慰安婦だった、といった具体的な数字も紹介されています。

2014年8月、朝日新聞が吉田証言を「デマ」と判断

吉田証言には、1990年代前半から現代史家の秦郁彦氏らによって疑問が指摘されていました。秦氏が済州島で行った現地調査では、証言を裏付ける証拠や証言者が見つからず、朝日新聞自身も1997年の紙面で「真偽は確認できない」と留保する記述をしていましたが、この時点では正式な取り消しには至っていませんでした。

2014年8月5日、朝日新聞は検証紙面で、吉田氏の証言を虚偽と判断し、これに基づく記事16本を取り消しました。裏付けのない証言を長年にわたり事実として報じ続けていたという点では、いわゆる「デマ」を報道してしまっていたことを朝日新聞自身が認めた形です。ただしこの時点の検証記事には、謝罪の文言は含まれていませんでした。

「当時、虚偽の証言は見抜けませんでした」(2014年8月5日朝日新聞検証紙面より)

その後、社内外から謝罪の欠如を批判する声が上がりました。同時期には、福島第一原発事故の「吉田調書」報道をめぐる誤報問題も重なり、9月11日には木村伊量社長が記者会見で謝罪しています。木村社長は最終的にこの年の11月に辞任の意向を示し、12月5日付で退任しました。ただし辞任の直接の理由は、慰安婦報道と吉田調書報道、両方の問題への経営責任とされています。

それだけでは終わらなかった ― 12月に追加の訂正

8月の検証だけで一連の問題が収束したわけではありませんでした。2014年12月22日、社外の弁護士やジャーナリストで構成する第三者委員会が調査報告書を公表し、朝日新聞の過去記事について「不正確で読者の誤解を招くものがある」と指摘しました。これを受けて朝日新聞は12月23日、あらためて複数の記事について訂正・説明を行っています。

具体的に何が訂正されたのか

「慰安婦」と「挺身隊」を混同した用語メモ

1992年1月11日付朝刊1面に掲載された「従軍慰安婦」の用語説明メモには、「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」との記述がありました。しかし、女子挺身隊は軍需工場などに動員された「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別のものです。朝日新聞はこの混同と、数字の不正確さを認め、訂正しました。

第三者委員会はこの点について、「あたかも挺身隊として『強制連行』された朝鮮人慰安婦の人数が8万人から20万人であるかのように不正確な説明をしている点は、読者の誤解を招くものであった」と指摘しています。

植村隆記者の記事 ―「連行」という表現をめぐって

1991年8月11日付朝刊(大阪本社版)に掲載された、元慰安婦の女性への取材記事の前文には、「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」という表現がありました。しかし、この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はなく、朝日新聞はこの部分を誤りとして訂正しました。

この記事をめぐっては、執筆した植村隆・元記者(当時56)が意図的に事実をねじ曲げたのではないかという疑問が他メディアから出されていました。この点について第三者委員会は次のように結論づけています。

「縁戚関係にある者を利する目的で事実をねじ曲げた記事が作成されたともいえない」(第三者委員会報告書より)

一方で、報告書は「『女子挺身隊』と『連行』という言葉の持つ一般的なイメージから、強制的に連行されたという印象を与える」表現だったとも指摘しており、「事実のねじ曲げはない」としつつも、表現自体には問題があったという、両方の評価を示しています。

吉田氏関連記事、新たに2本取り消し

朝日新聞は8月以降、過去の報道をあらためて再調査した結果、吉田氏の虚偽証言に基づく記事がほかに3件掲載されていたことを確認しました。このうち2本(1980年3月7日付、1984年1月17日付)は記事の全部または該当部分を取り消し、残る1本(1982年10月1日付、東京地裁での証人尋問を報じたもの)は、司法手続きでの証言内容であるため取り消しにはなじまないとして、データベース上に虚偽である旨のことわりを付ける対応となりました。

吉田証言の初報筆者は「解明できず」

吉田証言を最初に報じた1982年9月2日付の記事の筆者についても調査が行われましたが、当時の記者や関係者への取材では特定に至らず、朝日新聞は「十分に解明できなかった」としています。

一連の訂正はどこに掲載されたのか

今回取り上げた12月23日の訂正・説明記事は、朝日新聞の朝刊37ページ(東京本社発行分)に掲載されました。1面ではなく、紙面の後半にあたるページです。第三者委員会の報告書公表そのものは12月22日に発表されており、その翌日に紙面での訂正が続いた形になります。

対象になった記事一覧

今回の訂正・取り消しの対象を整理すると、次のとおりです。

対象 問題点 対応
「従軍慰安婦」用語メモ(92年1月)慰安婦と挺身隊の混同、人数(8万〜20万人)の不正確な記述訂正・おことわり
「軍関与示す資料」記事(92年1月)宮沢首相訪韓直前という掲載時期について、第三者委が「政治課題となるよう企図」と指摘記事内容自体に誤りはないとしつつ問題を指摘
植村隆記者の記事(91年8月)「挺身隊の名で戦場に連行され」との誤った前文表現前文部分を訂正
吉田清治氏関連記事(80年・84年)吉田証言を虚偽と判断全文・一部取り消し
吉田清治氏関連記事(82年・証人尋問報道)同上取り消しはせず、おことわりを付記
吉田証言の初報(82年9月)筆者を特定できず解明できなかった旨をおわび

朝日新聞は、これらの記事を過去記事データベースから削除はせず、問題があったことを示す「おことわり」を付けたうえで、閲覧できる状態を維持するとしています。

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